上司や部下と合わない

人間関係 面倒くさい


こんにちは 田辺です。

人間関係で悩んでいる人が多い。

最近それがClub Casanovaのメンバー達と話していて
浮き彫りになったので、メルマガでシェアしたいと思います。

ちなみに、Club Casanovaというのは、
僕が主催しているプログラムというかコミュニティで、
年間を通して進化し圧倒的な男の魅力を身につけるという団体です。
(現在は募集をしていないので入る事はできません。)

話を戻します。

何かの問題が起こった。
それを対処しなければいけない。

しかし、ほとんどの人は表面部分だけを見て、
それをなんとかしようとする。

例えば、人間関係。

会社の同僚とそりが合わない。

あいつのこういう部分が気にいならい。
あいつはこうだから俺とは会わない。

だから、嫌い。
もう、仕事以外では関わらないようにしよう。

普通はこう考えます。

ただ、これで終わっていては、
今後人生において、同じパターンの人間が出てきた時に、
その人達とはまた同じく合わないということになります。

そこをもう1歩踏み込んで、

「なぜ、あいつのあの部分が気に入らないのだろう?」

という感じで、自分と対話してみてください。

自分の中に、もう一人の自分を作って、
そのもう一人の自分と、あいつの事が嫌いな自分で対話してみる。

気に入らない人間が起こしている、
「あなたにとって気に入らない事」というのは、
事象としては中立なのです。

その事に対して、善悪の判断をしているのは、
他でもない、あなたの心であって、宇宙や動物の視点で見た場合、
何も悪い事ではないし、いいことでもないわけです。

これだけなのです。

あなた以外の人がその事象を判断する時、
もしかしたら、それは善と見なす可能性は十分あり得る。

なぜ、あなたは「あいつ」を「悪」と判断し、
他の人はその人を「善」と判断するのでしょうか?

あなたの嫌いな「あいつ」が
もしかしたら結婚でもしていた場合。

そのパートナーは、その人のことを、
「善」と見なしている可能性は高いということですよね。

だから、世の中にいいも悪いも無く、
すべての人に正義というのは存在して、
その人の正義に反するものを悪だと勝手に決めつけているだけ。

例えば、国同士の戦争。

あれは、戦争をしている2つの国において、
どちらも正義、大義名分があってそれを遂行している。

一方から見たら、相手は悪でこちらは善。
もう一方から見ても、相手は悪でこちらは善。

見る側の方向が変わるだけで、
すべての事柄は真逆になるのです。

先ほどの、人間関係もこれと同じなのです。

あなたが嫌いな「あいつ。」

あいつのことが嫌いなあなたには、あなたの正義があり、
あなたの正義というフィルターを通すと、
あいつは、ありえない奴という判断が下され、
そして嫌い。

ということになる。

でも、その人には、その人なりの正義というのがあり、
それを掲げて生きているだけ。

別に世界からしたら悪い事でもないし、
当然、その人にしても悪いとはおそらく思っていないのでしょう。

でも、あなたのフィルターを通すと、ありえないとなる。

人が衝突する時は決まって、価値観と価値観の衝突から起こるのです。
相手の心とあなたの心が戦争状態なのです。

相手は相手の正義があり、こちらはこちらの正義がある。

だから、お互い引く事ができない。
そして、衝突が起こる。

社会で生きていくのであれば、
この価値観の衝突は避けられません。

否定をされたり、自分が認められなかったりすると、
やはり人間だから反発してしまうのは仕方が無いです。

しかし、あることを知っておく事で、
人と人の衝突を避ける事ができます.

それは、相手を認めてあげるということです。

ここまで読んでくれたらわかると思いますが、
人と人の衝突とは、価値観の戦争と言い換えてもいいです。

で、価値観の戦争とはなにかというと、

一方はAが正しいと思っている。
もう一方はBが正しいと思っている。

この、AとBの違いにおいて価値観が違うから言い争うのです。

だから、あなたはこれから、Aが自分の中では絶対に正しいと思っていて、
Bなんて、死んでもありえないと思っているとしても、

「へー、そういう見方もあるんだな」

ということを思い、相手の意見を認めてあげる。

これだけでいいのです。

例えば、少し例を挙げます。

ラーメンやうどんを食べる時に、
麺をすすって食べますよね?

ほとんどの日本人は無意識で、
麺をすすって食べます。

あなたがラーメン屋でラーメンをを食べている時に、
隣のおっさんが、おそ松くんの小池さんばりに、
ズルズル食べていても「おいおい、何だよあいつ!」
とは、ほとんどの日本人はならないと思います。

しかし、閉店間際にあなたはいつも行く
お気に入りのラーメン屋に滑り込み、
いつも通りラーメンを注文して食べています。

そこで、いきなり店員が閉店の準備をしだして、
あなたのテーブル近くの床を箒で掃き始めたら
どう思いますか?

「人が食ってる時に箒で埃をまき散らすなよ!」

と、日本で育った人であれば、
ほとんどの人がこういうことを思うと思います。

ただ、海外だとこれは国によりますが、
結構逆になります。

麺をすすって食べるというのは、
日本独特の風習なので海外でそれをやると、
とても嫌がられます。

アメリカに住んでいた時に、
フランス人のチャーリと日本のラーメンを食べた時は、
チャーリーは、ラーメンをパスタのように食べていました。

フランスでは麺すすり、音を立てることは
とても行儀が悪いことだからです。

外国人からしたら麺をすすって食べるということは、
日本人の感覚で言うと、食事中くちゃくちゃ口を開けながら、
汚い音を立てて食べることと同じような感覚に思われていると思います。

彼のように麺をズルズル食べることはものすごく嫌がる外国人は多いのに、
外国では閉店間際に客がまだ食事しているのに、
箒で床を掃除しだすレストランはたくさんある。

そして、別に彼らもあまり気にしていない。
綺麗なレストランでも閉店間際に床を掃きます。

別にどれが正しくてどれが間違っているとかは無いと思います。
すべて、その国においてはそれが正しいと認識されているわけですから。

要するに文化や教育によってアイデンティティ、
人々が感じる価値観が違うということ。

こういう話を聞くと、
ああ、ここは外国だから仕方ないか。

と思える人が多いと思います。

先ほどの話で言うと、
「ありえない!」と思ったときは、
外国人の価値観と日本人の価値観が衝突しているのです。

外国人だから文化も育ちも違うし仕方が無いか。
と思える人もいると思います。
(これは海外によく行ったことがある人はよく分かる話だと思いますが)

しかし、同じ日本人同士だと、
中々こうは思えない人が多い。

日本人と外国人というかなりズームアウトした視点で見ると、
相手を赦すことができる。

でも、これを普段の人々の視点、日常の視点で見ると、
相手を赦せずに相手の価値観を
知らず知らずのうちに咎めてしまう人が多いように思います。

同じ日本人同士でも育った環境や受けた教育が違うのです。
だったら、価値観が違うのは当然出てくることです。

さっきの日本人の感覚と外国人の感覚がマクロの視点と定義した場合、
ミクロの視点は日本人同士で育った環境が違う=価値観が違うということ。

一緒ですよね。

要するに、ミクロの視点で見た場合でも、
外国人と同じなんですよ。

だって価値観が違うんだから。

枠組みが国単位か、家庭、地域単位かの違いで、
構造は同じだと思います。

だから、あなたが嫌いな「あいつ」と価値観が合わなかったら、
さっきの閉店間際の箒の話と同じ、
「ああ、価値観が違うから仕方ないか。」

「こういう考え方や価値観もあるんだ。」
と思ってあげればいいのです。

「なるほど」

という言葉が心の底から出てきますよね。
新しい発見なのですから。

あなたの嫌いな「あいつ」があなたに対して、
価値観の違うことを押し付け、主張してきたら、
そこであなたはあなたの中に無かった文化や哲学を知ることになるのです。

「客が食事中に箒で掃除を始めるんだ外国は。」

この時と同じ種類の発見をしているのです。
それを、日本人だからという枠組みで処理せずに、
発見という視点で判断できるかです。

いる世界は同じでも、
どのように情報を処理するかです。

そうなった場合、
相手に勝たせてあげればいいのです。
こちらは、その原理を知っているので、
相手に優越感を譲ってあげればいいのです。

そもそも、自分と全く同じ価値観を持っている人間なんていませんから。

同じ環境で育った兄弟や家族でさえ、
衝突するのですから、社会に出てから知り合った他人と、
すべての価値観においてわかり合えるのは不可能です。

だから、そういう局面に至ったら、

「なるほど」

この一言を相手に与えてあげてください。

あなたが嫌いな「あいつ」の心の中は、
外国だと思えばいいのです。

価値観が違うから合わないのです。
こっちはラーメンをすすって美味そうに食ってるのに、
あっちは行儀悪いと言って文句言ってくる。

お客さんがいるから、掃除は後でしようと思って、
お客さんが帰るまで待っていたら、
早く床掃いてこいと言われるのです。

「なるほど
「そういう感覚なのかこいつらは。」

まさに発見ではないでしょうか。

また、価値観の戦争が起こりそうになった場合に、
オラオラのマインドがあって、
「別にコイツとはもうどうなっていいぜ。かかってこいやー!」
と、思える、サムライはいいですが、

もし、無駄に人と衝突をしたくない。
組織の一員であるために、
一応、それなりに当たり障り無くやっていきたい。

そういう場合は、
最初に自分が損をして相手に与えてあげる事です。

そうすることで、後々自分に返ってきますし、
そもそも衝突はほとんど起こりません。

僕がロスに住んでいた時に、慕ってくれていた後輩に教えた事で、

「関わるすべての人間に価値を与えるように過ごす。」

ということを話した事があります。

人間関係に悩んでいた時期だったので、
1つアドバイスをしたわけです。

人は自分が一番かわいいのです。
自分もしくは自分の子供が一番得をしたいのです。

ほとんどの人の心の奥底にこの欲求が存在します。
だから、こちらが先にその欲求を叶えてあげる。

そして最低でも人はフェアじゃないと不満を言います。

自分が一番得をしたい。
それができない場合は
最低限50%、50%じゃないと不満を言い出します。

これも人の心の奥底に隠れています。

だから、相手に得をさせてあげる。
半々の時にでも、相手に60%をあげる。
こっちは40%でいいよと言ってあげる。

表面的には損ですが、相手から好意という感情を勝ち取れます。
人は自分に価値を提供してくれる人間を嫌いにはなりません。

イーブンの関係で相手に少しだけ多く与えてあげる。
相手は、「えっ、本当にいいの?」と大喜びてくれます。
こちらのことを好きになってくれます。

そうすることで、もうその人はこちらの仲間です。
あなたのことを人に悪く言う事はありません、
何か困ったら助けてくれますし、勝手に良い評判を口コミしてくれます。

たった、1割多めに相手に与えるだけで。

相手からの好意というのは、
ここであなたが表面的に損した、
10%の10倍の価値はあると思っていいです。

わかりやすいように説明しますと、

100を50、50で分ける時に、
あなたは40、相手に60あげるようにする。

それで、表面的にはあなたはマイナス10ですが、
相手からの好意を勝ち取る事で、別の所から、
100が舞い込んでくるということです。

結果、あなたは140、相手は60。

こうして、数値化すると一目瞭然ですよね。

「相手に千円あげるから、10日後に1万円ちょうだい」
といったら、みんなくれませんよね。

要するにこの現象が起こるのです。

お金だとみんな理解できるので断りますが、
これが精神的な価値になると、表面的な利益を求めます。

実世界で相手に価値を与える時に、
このような数字としては表面化されませんからわかりにくいですが、
物事の裏でこのようなことが起こっているのです。

だから、これをするということは、
現実世界で相手に千円あげて後で1万円もらうのと同じ行為です。

例えば、合コンを主催しまくって、
周りの人間にたくさん女性を紹介しまくっているとします。

自分は店の予約をしたり、連絡を取って日程決めたりと、
他の人より時間的に損をしています。

しかし、それを継続していく事で、
みんなその人に感謝してくれます。

女性をどんどん紹介してくれる人の事、
わざわざ嫌いになる理由がありませんよね。

それを続けていく事によって、
みんな、あなたの事を好きになってくれます。

そうすると、わざわざ別で彼女の友達を紹介してくれたり、
その男性に気に入った女性ができた時に応援してくれたりと、
支持されるようになります。

他で合コンがあればお返しということで、
必ず呼んでくれます。

結局一番得する事になるのです。

あなたがコミュニケーションを取るべき相手は、
相手が言語化してきた事柄ではなく、
相手の心の奥深くの感情、欲求、欲望、願望、不満です。

その相手の心の奥深くのもう一人の相手と向き合い、
あなたは言葉を選び相手とコミュニケーションをとってみてください。

価値を人に与えるという行為は、
人に価値を預金しているという感覚に似ています。

価値という見えないものを、相手の心に積み立てていく。

そうすると、それが満期になったら
相手が勝手にこちらに価値を返してくれる。

そして、それには金利やボーナスがあって、
預けたときより増えている。
(価値を10回与えたら、勝手に10倍ポイントがつくみたいな)

こんな感覚に似ています。

=========================
人に何かお願いされたときを思い出してみてください。
=========================

1 「この人のお願いなら喜んで受ける。」

2 「コイツのために時間を使うのは面倒臭い。」

この2つの感覚になったことありますよね?

これは、あなたの心でどんな現象が起こっているのかというと、
あなたにお願いしてきた人が、
あなたにこれまで価値という預金をどれだけ積み立てたか。

この数値によって上の1か2が決まります。

お世話になったので、あの人の言う事なら喜んで。
なんで、コイツのために・・・

全く、同じ頼みごとでも、
頼んでくる相手によってあなたの答えは違いますよね。

この背景は、あなたが彼から受け取ってきた価値によって決まります。

だいぶ、イメージできてきたでしょうか。

要するに前の話も踏まえると、

価値観の戦争を理解する。
人間関係において、相手を認めてあげる。
相手に価値を提供し得をさせてあげる。
自分は表面的に負けて損してもも全く問題ない。

そうすることでみんなあなたの味方です。
敵ができる方がおかしいのです。

敵がいないということは精神的にも安定する事になります。
何か困った事があればみんな助けてくれます。
新しい事をする時にみんな応援してくれます。

周りが仲間だらけになります。

どうでしょうか。

良いと思いませんか、こんな世界。

以前、どこかで書きましたが、
今現在あなたを取り巻く環境は、
あなたが作り出した現実です。

あなたの周りで起こっている事は、
あなたを映し出している鏡だと思ってください。

周りの人間関係、なんらかの環境が悪いのは、
その人達が悪いのではなく、それを引き寄せたあなたの心の奥底にある、
「なにか」に反応して作り出されている可能性が非常に高い。

だから、このメールの最初の方で話しましたが、
原因を外で探るのではなく、「内」で探る。

他者ではなく、自己の中にその原因が必ずあるはずですから、
一度自分と対話することが必要になってきます。

すべての事象は中立。

これを先ほど話しましたが、
その中立な事象に対して善悪を判断しているのは、
他でもないあなた自身です。

なぜ、中立でしかない事象に対して、
「悪」と判断したのか。

「なぜ?」の問いを自分に何度も問いかけて、
心の奥底まで旅をしてきてください。

ラダリングというのですが、「なぜ?」を繰り返す事で、
少しながら、自分の考えてる世界観や価値観を探る事ができます。

そこまでなぜをつきつめて、それでもなおやはりわかり合えない相手、
もしくは、わかり合いたくない相手というのがいます。

そういうときは、そっとこちらから去ればいいのです。
そこまで歩み寄って合わないのであれば無理です。

先ほど価値観が合わない人は外国人だと思ってもいいくらいだといいましが、
海外に住んでいて、どうしてもその文化や風習が自分に合わなかったら、
そこから離れることを選択しますよね。

そして、あなたが住み心地の良い国を探して、
新たな生活を始めると思います。

自由が無ければそこに我慢してとどまることを選ばなければなりません。
人間関係も同じ。

適応を試みるけど、やってみて最終的にやはりあわなければ、
その場を去るのか、過ごしやすい環境に行くのか。
決めるのは最終的には自分次第です。

相手を変えようとするのではなく、自分が自ら変わる意志を持って変わり、
その上で相手との関係が変わらないのであれば諦めましょう。

今の人間関係や環境に満足していない場合、
今回の記事を印刷して何度も読み返し、
自分に当てはめてみてください。

きっと少しずつ環境が改善されていくと思いますから。

 

田辺祐希

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2014年3月1日 | コメントは受け付けていません。 |

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台湾と日本の地下鉄

台湾の優先席


こんにちは 田辺です。

以前、セミナーをしに日本に帰った時の事です。

日本に行って目に入ってきたことですが、
電車の優先席を若者が平気で座っているということですね。

台湾でも地下鉄に優先席は各車両に配備されているのですが、
絶対に空いてます。

老人、妊婦など以外は彼らはまず座りません。

こういう傾向に慣れているので、
日本に戻った時には、国によって人の感覚が全く違う事を
よく目にします。

それがいいか悪いかという議論はここではするつもりはありません。

ある側面では、老人は筋肉をつけた方がいいので、
楽をして常に座っているより立っていた方が筋肉が維持できるからいい。

そういう意見もあると思いますし、
体が重くなってつらいんだから座らせるべき。

こういう意見もあるでしょう。

ただ、国が違うだけで全く人の感覚が違うということが言えます。

例えば、韓国と北朝鮮ですが、
昔は分かれていなかったので、人々の感覚は同じだったわけです。

しかし、戦争後に分割されて、違う政府が統治したことによって、
今では全く違う思考をするようになりました。

他の例で言えば、日本人の夫婦がアメリカに住んでいて、
子供をアメリカの学校へ行かせ育てるとする。

そうなると、血は日本人ですが、
性格はアメリカ人になります。

親は日本人で、見た目も日本人、血も日本人なのに、
その子は、音楽がかかると腰を振って踊りだすようです。

興味深いですよね。

人のパーソナリティは、血やDNAではなく、
育った国の文化や教育に強い影響を受けているということです。

僕らは日本で生まれ育ったので、
日本の文化、教育を軸にして育ってきました。

国が違えば、それだけ違うアイデンティティがあるということです。

海外に住んでいるとこういう面白い発見が多いので、
もし、まだ海外に行った事がない場合はお勧めです。

 

田辺祐希

 

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